私が好きな話があります。
人間は信じたいものしか信じないし、見たくないものは見えなくなります。
嘘みたいな話ですが、それは自分では認知できないものです。
「他の人はそうかもしれないけど私だけは絶対違う」
というのは、そう思い込んでいるからかもしれません。
残念ながらそれは魔法ではなく、目には見えない脳の中で起きている一つの現象に過ぎません。そんなことがわかる右脳が損傷した患者「カーラ」の診察風景です。
脳が左腕が上がった時は、脳内で腕を上げるシュミレーションができています。
しかし、実際に腕を上げる脳の領域と、腕を上げる時の意識するところの二つが壊れています。
なので、腕を上げているように感じるけど、腕は上がっておらず、腕の意識も分からないのです。なので、他の脳の領域達が脳内でシュミレーションしたことが正しいと判断し、勝手にそれっぽい理由を作りはじます。
簡単にいうと、
脳の機能で人間は信じたいように信じ、見たいものを見ることができるのです。
私たちは彼らの意識できないことを認識できません。想像もできません。
今回の話では、自分の腕が自分のものではないと本気で納得しているのは、本当にそう思えるから言っているだけです。
自分の腕が自分の胴体にくっついているんです。
論理的に考えなくとも自分の腕であるのに、脳を損傷し機能しない場合、彼らは自分の腕を「他人の腕」とすら考えてしまいます。
彼らは面白がって医師に嘘をついているわけではなく。本当にそう感じるんです。
これは彼らに限った話ではありません。
どうしても話が通じない人、あなたの周りにも何人かいますよね。
彼らは本当に話が通じないように脳が作り上げていて、心の底から納得しているんです。だから話が通じないんです。
「そうか。だから彼らはしょうがなかったんだね。でも私は彼らではないよね。安心した。」
と思っていましたが、最近はメタ認知ができるようになってから、自分もその1人であることがわかってきました。
脳は自分の都合よく物事を解釈してでっち上げる機能を持っていると認識することで、自分の行動を不合理な存在として認知できるという話でした。
さて、脳はこのように簡単に錯覚させる方法はあります。
実生活で使えなきゃ意味ないですからね。
都合よく他人の脳を良いようにでっちあげれば良いんです。
その方法は好きになってもらえれば良いんです。
なぜ、好かれたら良いのかですが。
好き。と考えてしまった相手のいいところしか見えなくなってしまう心理学があるからです。
確証バイアスと呼ばれています。
人生が楽になるスキルなので、やっておいた方がお得で、やらないと本当に冗談抜きで損することが科学で証明されています。
そんな「好かれる方法」を下記記事で紹介しています。
具体的には次の記事で紹介します。
まとめ
人間の脳は見たいものしか見えない。信じたいことを信じたい。
変革せよ。変革を迫られる前に。
ジャック・ウェルチ
人間は信じたいものしか信じないし、見たくないものは見えなくなります。
嘘みたいな話ですが、それは自分では認知できないものです。
「他の人はそうかもしれないけど私だけは絶対違う」
というのは、そう思い込んでいるからかもしれません。
残念ながらそれは魔法ではなく、目には見えない脳の中で起きている一つの現象に過ぎません。そんなことがわかる右脳が損傷した患者「カーラ」の診察風景です。
要約すると、イタリアの鳥の大学の神経科学者アンナ・ベルティ博士による、ある患者「カーラ」の診察風景をご紹介しようからの麻痺した左では、彼女の膝の上で正常な右腕の隣に置かれている。
「右腕をあげることができますか」
「はい」
カーラの右腕が上がる。
「左腕はどうですか」
「はい」左腕は動かない。ベルティはもう一度試す。
「左腕を上げていますか」
「ええ」とカーラは答える。しかし、左腕は動いていない。
「両手で拍手できますか」
カーラは右手を体の真ん中あたりまで動かし、拍手するような動きをする。
左手はじっとしたままだ。
「本当に拍手していますか」
「はい」
「音がしませんけど」
カーラが答える。
「私は何をしても音を立てません」
麻痺を強硬に否定するのは長年にわたって心理的な問題だと考えられてきました。
とベルティは述べる。それは卒中に対する反応なのにだ。
私は麻痺している、それはとてもひどいことだ、私はそんなことは信じない。
しかしそれはフロイト的ジレンマではない。むしろ、それはいわゆる無視症候群の1種であり、運動の心的シミレーションに関わる脳部位である補足運動野の損傷によって起きる。
ゴルフスイングするかスキーで滑る動きを両眼を閉じて想像すれば、この脳部位が活性化する。
ベルティがカーラに左腕をあげたり拍手したりするように指示すると、彼の脳内ではそうした動きを司る領域がいつもの運動パターンを生成する。
しかしこれらの運動を実行する領域や、運動の意識性を与える領域が機能しない。せめぎ合いは桁外れだ。
動いたと言うからの感覚は感覚のシュミレーションのおかげで強力になる。
だが運動の意識性は得られず、麻痺は完全なのにだ。
そこで脳は作話する。
尋ねられたら、患者は動きがないことを説明するために話をでっちあげます、とベルティは語る。
ある女性は「自分の腕は散歩に出かけた」と話した。
ある男性は動かない腕は自分のものではないと主張した。左の腕が右側の視野に入った時、それは自分のものではないと言い張った。
「それは誰のですか」とベルティが訪ねた
「先生のです」
「本当ですかご覧になってください。私にはそれは二本しかありませんよ」
患者は答えた。
「なんて言えばいいんですか先生には手首が3つある。だから3本の腕があるはずです」
脳はすすんでだまされたがるより引用
脳が左腕が上がった時は、脳内で腕を上げるシュミレーションができています。
しかし、実際に腕を上げる脳の領域と、腕を上げる時の意識するところの二つが壊れています。
なので、腕を上げているように感じるけど、腕は上がっておらず、腕の意識も分からないのです。なので、他の脳の領域達が脳内でシュミレーションしたことが正しいと判断し、勝手にそれっぽい理由を作りはじます。
簡単にいうと、
脳の機能で人間は信じたいように信じ、見たいものを見ることができるのです。
私たちは彼らの意識できないことを認識できません。想像もできません。
今回の話では、自分の腕が自分のものではないと本気で納得しているのは、本当にそう思えるから言っているだけです。
自分の腕が自分の胴体にくっついているんです。
論理的に考えなくとも自分の腕であるのに、脳を損傷し機能しない場合、彼らは自分の腕を「他人の腕」とすら考えてしまいます。
彼らは面白がって医師に嘘をついているわけではなく。本当にそう感じるんです。
これは彼らに限った話ではありません。
どうしても話が通じない人、あなたの周りにも何人かいますよね。
彼らは本当に話が通じないように脳が作り上げていて、心の底から納得しているんです。だから話が通じないんです。
「そうか。だから彼らはしょうがなかったんだね。でも私は彼らではないよね。安心した。」
と思っていましたが、最近はメタ認知ができるようになってから、自分もその1人であることがわかってきました。
本質的に認知できないので、信じたいことしか信じないのです。メタ認知とは
「メタ認知」とは、自分が認知していることを客観的に把握し、制御すること、つまり「認知していることを認知する」ことです
参考https://www.kaonavi.jp/dictionary/metacognition/
脳は自分の都合よく物事を解釈してでっち上げる機能を持っていると認識することで、自分の行動を不合理な存在として認知できるという話でした。
さて、脳はこのように簡単に錯覚させる方法はあります。
実生活で使えなきゃ意味ないですからね。
都合よく他人の脳を良いようにでっちあげれば良いんです。
その方法は好きになってもらえれば良いんです。
なぜ、好かれたら良いのかですが。
好き。と考えてしまった相手のいいところしか見えなくなってしまう心理学があるからです。
確証バイアスと呼ばれています。
人生が楽になるスキルなので、やっておいた方がお得で、やらないと本当に冗談抜きで損することが科学で証明されています。
そんな「好かれる方法」を下記記事で紹介しています。
具体的には次の記事で紹介します。
まとめ
人間の脳は見たいものしか見えない。信じたいことを信じたい。
変革せよ。変革を迫られる前に。
ジャック・ウェルチ