今回の心理学はかなり驚いた心理学です。
なんと人間は苦痛を受けるとき、軽いよりも重い方が、苦痛を与えてきたことを高く評価するんです。理解できないですよね。解説します。
なんと人間は苦痛を受けるとき、軽いよりも重い方が、苦痛を与えてきたことを高く評価するんです。理解できないですよね。解説します。
学生を志願者として、三回電気ショックを受けると言う加入儀式のある課外クラブに勧誘した研究がある。1部の志願者はかなり強い電気ショックを受けて非常に辛い経験を(重い儀礼群)し、他の志願者はもっと軽い電気ショックを受けてわずかに不快なをした経験(軽い儀礼群)をした。人は肉体的苦痛が伴うのを嫌うはずだと思うかもしれないが、実際には重い儀礼群の方がクラブをより好きになった。この志願者たちは大きな苦しみを経験したため、その苦しみの強さが引き金となって防衛システムが作動し、直ちに、この経験について信頼できる明るい見方を探し始めたからだ。
明日の幸せを科学するより引用
簡単に言うと
軽い苦痛を受けるだけでは、少し嫌な思いをしただけで終わる。
しかしながら、重い苦痛を受けると、かなり価値のあることだから重い苦痛を受けたと思い込む。
ということです。
軽い苦痛を受けるだけでは、少し嫌な思いをしただけで終わる。
しかしながら、重い苦痛を受けると、かなり価値のあることだから重い苦痛を受けたと思い込む。
ということです。
防衛システムとは
一定以上の苦痛を受けたときに、働く脳のシステムのことを言っています。
本書では触れていないが、認知的不協和のことだと思います。
一定以上の苦痛を受けたときに、働く脳のシステムのことを言っています。
本書では触れていないが、認知的不協和のことだと思います。
認知的不協和とは
矛盾が起きたとき解消するために行動を正当化する行為。
私が苦痛を受けたのはこれにそれだけの価値があるからだ。
といったところだ。
本書では認知的不協和を、一定以上の閾値を超えた苦痛を受けることを条件にしているようです。
これは一昔であれば日常的に使われていました。
会社に入社したときに、合宿として先輩に泊まりがけで教育をされた。
その経験はかなり辛いもので、これ以上の苦痛は無いのだろうかと思うようなほどひどい経験だった。そんな話よく聞きますよね。
あれに何の意味があるのだろうか?と思うかもしれませんが、この心理的な性質を利用した脳の調教で、かなり合理的だと今ならわかります。
もし、あの強化合宿が生易しいものであったら本当に意味のない合宿であったと思います。
強化合宿がひどく苦痛であったために、考えを操作され、私の脳はこう勘違いさせるのです。そしてこう思い始めます。
強化合宿がひどく苦痛であったために、考えを操作され、私の脳はこう勘違いさせるのです。そしてこう思い始めます。
『これだけひどい苦痛を受けるんだから、この会社はきっと素晴らしい会社なんだ。』
「良し悪し」の話は置いといて、調教のテクニックですね。
「良し悪し」の話は置いといて、調教のテクニックですね。
これは恋愛にも使われているテクニックです。
性欲の科学と言う本に書かれていた内容であるが、女性は、男性と恋愛するときに大きな試練を乗り越えたとき、深い愛情を感じると言う。
その理由については述べていなかったが、おそらく、この心理的性質を利用したものだと思います。
性欲の科学と言う本に書かれていた内容であるが、女性は、男性と恋愛するときに大きな試練を乗り越えたとき、深い愛情を感じると言う。
その理由については述べていなかったが、おそらく、この心理的性質を利用したものだと思います。
ちょっと待て、それなら男性も同じではないか?と思われるかもしれません。
性欲の科学によれば、女性は男性と違い、大きな試練を乗り越えると言うストーリーに興奮するようです
男はストーリーには興奮せず、見た目に依存します。
男はストーリーには興奮せず、見た目に依存します。
さて、具体的な生活に落とし込むのであれば、もし新人が入ってきたときに失敗をした場合、最初だけ大きなムチを与えてみれば良い。
現代では、そんなことは相応しくないと言う理由で優しい注意、または注意をしない人などが多いが、もしかすると、逆にかわいそうなのかもしれないですね。
これをすることによりもあれだけ批判してくれたあの人は私のことをこんなに考えてくれる良い人なんだ。だから言うことを聞こう。と考え出します。
実は私にもこの経験があるのでよくわかります。
実は私にもこの経験があるのでよくわかります。
まとめ
強いムチを使うことで、良い展開にさせることができる。
強いムチを使うことで、良い展開にさせることができる。
大きな苦痛こそ精神の最後の解放者である。この苦痛のみが、我々を最後の深みに至らせる。
フリードリヒ・ニーチェ
フリードリヒ・ニーチェ