週間PVが1万人を超えるようになってから、最近考えていたことがあるんですが、文字情報は同じ内容でも話す人によって価値の感じ方は変わるな。と考えていました。例えばAさんBさん二人います。
Aさん、記事10フォロワー10スキが平均1の人
Bさん、記事100フォロワー1000スキが平均30の人
Bさん、記事100フォロワー1000スキが平均30の人
この二人の人が同じ有料記事を書いていたとして、私はAさんの記事が100円で売っていたとしても買いたくないです。
しかし、Bさんの記事は500円だとしても買いたいと思ってしまいます。
よくある、心理学の権威性の話と社会的証明の原理ですね
よくある、心理学の権威性の話と社会的証明の原理ですね
二つの影響力の武器
価値というのは発信する人の信頼度で変動する。
権威性の法則
権威性の法則
みんなが支持してるから多分良いと錯覚して同じように買ってしまう。
社会的証明の原理
社会的証明の原理
だから二人の発信する情報の価値は同じでも、人間の不合理な感情で、大きな差が出来てしまうんです。
なんてことを考えていたわけです。
実際には2人の比較ではなく、何万人かの比較ですから話は更に難しくなります。こうなると、人間は難しいことはかなり嫌いなので、分かりやすくみんながいるところに向かいます。
ということで、更に持たない人の事態は悪化してしまいます。
実際には2人の比較ではなく、何万人かの比較ですから話は更に難しくなります。こうなると、人間は難しいことはかなり嫌いなので、分かりやすくみんながいるところに向かいます。
ということで、更に持たない人の事態は悪化してしまいます。
これって権威性の無い人にとってはとにかく耳の痛い話ですよね。
note,twitter,youtube,他SNSなどは、持つ人がとにかく強いです。
それなら私たち権威性を持たない人が情報を発信する価値は少ないですよね。
note,twitter,youtube,他SNSなどは、持つ人がとにかく強いです。
それなら私たち権威性を持たない人が情報を発信する価値は少ないですよね。
優しい作りのnote
しかし、noteでは権威性を持たない人に優しい作りにされていることが気がつきました。
ランキング制度はないため、上位が多くを集めることは難しく、ピックアップされる記事も有名では無い人が出てきたりします。
ランキング制度はないため、上位が多くを集めることは難しく、ピックアップされる記事も有名では無い人が出てきたりします。
8:2のパレートの法則というのがありますが、この均衡を破るシステム作りは8割のクリエイターにとっては蜘蛛の糸のような話です。
とはいえ、多く支持されている人は、安定的に価値のある情報を発信しているので、私も合理的にフォロワーが少ない人は意識しないと見ないな。とつくづく思います。
文字の信頼性
話は変わりますが、文字という情報は簡単にコピーできます。有料記事などは一般には見られない情報をそのままの形でコピーすることも事実可能です。内容を確認せず1分でできます。プログラムを組めば自動です。自動でお金が入ってくるかもしれないと言ったら、あなたがやらなくても誰かがやります。
おそらく、コピーが簡単な文字の信頼性というのは長い目で見たら落ちてくるんじゃないだろうか?と思いました。
文字で価値があるのはその人しか発信できない特有のカテゴリ以外は価値が低い状態になりそうです。
本質は情報の伝え方
文字と動画で比較するなら、なんだか動画の方が信頼できると感じます。
その人の言葉で、顔で、感情で話しているから、なんとなく、信頼性があるように感じます。
のっぺらとしたスマホに映る表情のない文字達よりも、動画は活きいきと感情を揺さぶる何かを持っていると思います。
その人の言葉で、顔で、感情で話しているから、なんとなく、信頼性があるように感じます。
のっぺらとしたスマホに映る表情のない文字達よりも、動画は活きいきと感情を揺さぶる何かを持っていると思います。
レトリックを少し学んでからは、文字書きは感情に問いかける文豪になる必要性すら感じ始めてきました。
ただし、文章は動画と違い、その人の脳に映像を作り上げられる特徴を持っています。
例えば次の文章では人によって表情を変えます。
例えば次の文章では人によって表情を変えます。
子供の頃、食卓で椅子に座ると母が料理を並べ始める。ご飯は何も言わなくとも丁度いい量を盛られ、みそ汁はバランス良く刻まれた具材達がが茶色のスープと共に踊り始める。そのいつもの光景は何故かほっとするものだった。
今考えたので、文章的に良いものかは分かりませんが、この文章から想像する映像はあなたの家の風景と、あなたのいつものご飯の量と、いつものみそ汁の具材だったはずです。
このような文字の強みがあり、理解して使っていくべきスキルであることは違いありません。
このような文字の強みがあり、理解して使っていくべきスキルであることは違いありません。
クリエイターが作りたいからでは、常識から飛び抜けた人達以外は価値を生み出せません。いいねもつかず、承認欲求すら満たせないのです。
本質は情報を欲しい人が欲しいように伝えることです。
本質は情報を欲しい人が欲しいように伝えることです。
文字の強みは2つ
そんなことは、動画や読み聞かせでできるんじゃないの?
と思いますが私の経験として、文章以外にはなかなか難しいように感じています。
と思いますが私の経験として、文章以外にはなかなか難しいように感じています。
理由は2つあります。
-途中でストーリーの一時停止ができるから
-ストーリーの巻き戻しが簡単だから
この2つではないかと200冊以上の聞く読書や多くの動画を見ていて思います。
動画や聞く読書はノンストップなので、聞きにくい場所が点在していて、その時にかなり面倒です。
一度巻き戻して、どこからか探して、もう一度聞く。ボタンを押したり、探したりは、ちょっとの手間ですが、集中力が一瞬途切れるのでかなり嫌いです。
-途中でストーリーの一時停止ができるから
-ストーリーの巻き戻しが簡単だから
この2つではないかと200冊以上の聞く読書や多くの動画を見ていて思います。
動画や聞く読書はノンストップなので、聞きにくい場所が点在していて、その時にかなり面倒です。
一度巻き戻して、どこからか探して、もう一度聞く。ボタンを押したり、探したりは、ちょっとの手間ですが、集中力が一瞬途切れるのでかなり嫌いです。
その瞬間に頭の中の映像が、現実世界の映像に切り替わるので、嫌なんです。
脳科学的、視覚とは
人間の脳は、現実世界を視覚として見る、又は、頭の空想世界を視覚として見る。ことができますが視覚は同じ領域を使っているので、両方は見ることができず、どちらかしか見れないようです。
明日の幸福を科学するより参考
明日の幸福を科学するより参考
だから文章は読み直しが容易であるから強いと思います。これさえテクノロジーで改善できれば文章は淘汰される可能性すらあるかもしれません。
まとめると
文字の情報としての価値は、相対的に落ち始めている。
20年後に失望するのは、
やったことよりもやらなかったことだ。
綱を解き、船を出し、帆で風を捕らえよ。
探検し、夢を見て、発見するのだ。
やったことよりもやらなかったことだ。
綱を解き、船を出し、帆で風を捕らえよ。
探検し、夢を見て、発見するのだ。