孤独感を解消できた話

2019/12/25

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フロー体験入門にこんな一節がありました。
孤独を楽しめるようになることは可能だが、滅多に手に入れられない好みである
(フロー体験入門, 2013, p.20)
孤独を楽しむ?どういうことだろうか?
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私が以前に読んだ本ですが、孤独の科学という本を読みました。
概要としては、


孤独である事は脳のパフォーマンスを下げる。
人間の心理の作り方として、孤独である事は罰を与えるように脳が進化しているはずである。
孤独と言うのは避けるべきもので、主観的な感情で、自分が感じることが孤独である。
脳にとってはあまりよくないことである。と簡単に解釈できます。

孤独の科学の孤独のデメリットについて書いた記事です。

人間の心理の作り方として、孤独である事は罰を与えるように脳が進化しています。


ジャングルでひとりでいたら危険ですよね。
誰かと一緒に行動している方が安全ですよね。
なので1人でいることに耐えられない人が生き残ってきたので、そう思える心理の人が今の私たちの心理になっているのです。進化心理学

だからこそ孤独と言うのは避けるべきもので重要な意味がありました。

とは言え孤独と言うのは主観的なものなので、みんなと同じ空間にいたとしても仲間外れにされていれば孤独感を感じます。


「人と同じ空間にいることが孤独ではない」ということではないのです。



精神的なつながりがあるか孤独か孤独でないかの境目です。
つまりは、孤独を楽しむということは、
人と物理的に距離を置くのではなく、人との精神的な繋がりを絶つことを楽しんでいる状態です。


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そんなことできるのだろうか?思っていましたが、若者でぼっちを楽しんでいる人もいることも事実です。


しかし、彼らは本当の意味(精神的なつながりを断つ孤独)を楽しんでいるのでしょうか。


今は時代が変わってスマホにより簡単に人とのつながりがSNSなどによって精神的なつながりを与えられる時代ではあります。

人とのコミニケーションの方式は、実際に会わなくても精神的なつながりを得られる時代であります。
とは言え現実的に見たら実際に彼らが話しているのはスマホです。
外から見ただけではこういう風に解釈してしまいます。


「あいつはスマホばっかり見て人と会ってない。
あいつはぼっちだから孤独でダメだ。
だから悪いやつだな。よし、私の正義をたっぷり教えてやろう。」



これが大体に起きている現象です。
現実的に見て孤独に見えるけど、精神的に見て孤独ではない人もいるのです。

孤独についての擦れ違いについてはこんなところです。
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とは言え、私は実際にひとりでいても孤独を感じません。
 1日に1時間以上瞑想するし、本当の孤独が好きです。

おそらく、孤独を私の意味に定義して考えていないからではないかと思います。

言語化するとこんな思考のプロセスを辿っています。

孤独を認める(孤独感を感じる、孤独であることを認める。)
→孤独でもいいのでは?遺伝子はまだジャングルの中にいると思ってるけど、事実は現代だ。
→昔は孤独は重要な意味があったけど、現代ではあまり意味ないよな。
→それに振り回されている自分ってしょぼい。
→感情を理解して認めて、ありのままの自分を目指そう。

こんなふうに考えられるようになってからは、孤独感が薄くなりました。

なので、最近ではクリスマスでぼっちでも昔のような孤独感を感じません。
ただ、みんなといたい気持ちもあり、それが楽しいのも事実です。


この記事を読んだ人からは『寂しいやつだ。』と思われているかもしれない。という考えが浮かびますが、

→「それでもいいじゃない」と思えてしまいます。

孤独という感情を人よりも論理と科学で知っていると、主観的ですが感じにくくなった気がします。うまく言語化できませんが、そんな感覚です。
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孤独であることが辛いと感じている人は、孤独を認めて、理解して、ありのままの自分を見つけたら楽になれると思います。科学的ではないので断言できませんが個人的にそう思います。

自分を嫌いにならなければ、人から嫌われてもいいんです。
100年程度の短すぎるあっという間の人生なのでポジティブに生きた方が死ぬときに後悔しないで済みそうです。


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