かなり面白い実験がありました。これで相手が自分が何で頭のいい人と思っていることがわかって、相手が得意なことが分かるようになります。
あなたはなぜ自分を才能のある人間だと考えているのだろう ? (ほらほら白状して 。そう思ってるでしょう ? )この疑問に答えるために 、研究者は一部の志願者に 「才能 」の定義を書きださせ 、それを基準にして自己の才能を評価させた (定義群 ) 。つぎに 、ほかの志願者に 、定義群が書きだした定義を見せ 、それを基準にして自己の才能を評価させた (非定義群 ) 。興味深いことに 、定義群は非定義群より自己の才能を高く評価した 。定義群は 、 「才能 」の意味を好きなように定義する自由があったため 、まさに自分が望むように 、つまり 、たまたま自分が秀でている活動の観点から定義した
明日の幸福を科学するより
簡単に言うと、
才能があると思い込むのは、自分で才能のある定義を作り出し、自分に都合の良いように無意識になっているからです。
才能があると思い込むのは、自分で才能のある定義を作り出し、自分に都合の良いように無意識になっているからです。
私の場合誰かにあなたは頭がいいですね。と言われた場合、当然のようにそんなことないですよ。あなたの方が頭がいいですよと言います。
そう言わなければ嫌な奴に見られるからです。
その時は、自分が頭が悪いなんてことは思っていません。
しかし、後で自問自答してみると自分の都合の良いように解釈して自分が頭が良いと考えてしまいます。
私の場合は
私は本を読むから頭が良い。
誰々よりも成績が良いから頭が良い。
時間を効率よく勉強に充てるので頭が良い。
などです。
私の場合は
私は本を読むから頭が良い。
誰々よりも成績が良いから頭が良い。
時間を効率よく勉強に充てるので頭が良い。
などです。
人間の脳はこのようにして、無意識に自分が優れていると言う理由を考えだすのが得意で、本当にそれに納得してしまいます
だからこの世が頭がいい人で溢れているんですね。
そんな人たちに『私の基準では』頭が悪いですねと言ったところで、何のメリットもない。
頭の良さの私の定義と彼らの定義は全く別物なんです。
まとめ
人間は皆んな、自分のことを頭が良いと思っている。
都合の良いように良いの定義を作るから。
人間は皆んな、自分のことを頭が良いと思っている。
都合の良いように良いの定義を作るから。